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【vol.491】変人=やっぱり大好きな大学

2016年09月30日
ちょっとマニラでの生活も落ち着いてきたので、
9月中旬に行った弾丸週末旅行について。

私はこの2年間、
あまり国内旅行もせず、
レイテ島やボホール島、パナイ島や北ルソン地域を訪ねたのも、
ほかの隊員のイベントのお手伝いやスタディツアーなど。
そんな中、
最後の最後で、セブへの旅行をしてきた。

これは、私の母校である立命館アジア太平洋大学(APU)の現役学生(一人は佐賀大生)を連れ、
APUの後輩であり、フィリピン協力隊の先輩、
そして今は福岡でフェアトレードの会社「Girls, be Ambitious」を経営する
山田麻樹ちゃんがセブを訪問。
「APUの集まりをしよう」と誘われたので、
週末を使って、1泊3日でセブに行ってみたのだ。

セブに着いてすぐに、
ホテルにチェックインする間もなく、
アイランドホッピング(いくつかの島を回るツアー)に参加。
その中で、
50センチくらいの浅瀬に、
青や黄色、緑の美しい魚が、今にも手の届きそうな距離にいる
ナルスアン島
セブ・ナルスアン
【写真①】=このくらいの浅瀬がずっと続いており、人間に慣れた魚たちが目の前を泳ぐ(9月10日)

日本の会社が買い取り、
ココナッツオイルや海水による塩の作り方、
また、キルトの折り方を指導するなどして
「持続可能な島」を目指す
カオハガン島。
セブ・カオハガン
【写真②】=カオハガン島でお母さんたちが手縫いするキルト(9月10日)
※カオハガン島については、この島の暮らしを始めた日本人男性、
 崎山克彦さんの本に詳しいです。


いやー、当時、木酢の工事が進まずにイライラしていたので、
かなりリラックスができた旅だった!

そして、夜は学生たちと交流。
そこで思ったのが、
「やはり、変人だらけの大学だな」と。
セブ・APU
【写真③】=現役の学生たちと(9月10日)

APUは2000年開学。
国内の大学ながら、
半分が留学生という国際性
が売りだ。
だから、集まってくる日本人学生もほとんどが
「ちょっと変わった日本人」。
私は、2003年入学の4期生。
ちょうど、やっと4学年がそろったという年の入学だった。

当時、まだ卒業生も輩出しておらず、
そんな中、私は、地元大分の高校の先生からは
「そんな地元の私立に行ってどうするの?」
と言われた。

しかし、ここでメディアの魅力に惹かれ、
新聞記者を志し、
その取材の中で国際協力を自分でしたくなり、
今、こうしてフィリピンにいる。
もしAPUに行っていなかったら、
私の人生は、もっとつまらないものになっていただろう。

当時は、
「APUで“変人”は最高のほめ言葉だ!」
と言われ、
何とか人よりも違うことをしてやろうという学生が多かった。
だからこそ、決して日本の社会の枠におさまらず、
海外で就職をしたり、ベンチャーを立ち上げたりなど、
本当に自分たちで世界を切り開いていく人たちばかりだった。

そして今の現役大学生たち、
やっぱり変人。笑
私が合流するまでは、
セブのごみ山を見学したり、
現地の人たちとフェアトレード商品を作ったりなど、
ただの観光では体験できないことばかりを目の当たりにしていた。
私も、大学時代に中国や韓国を幾度となく訪れ、
その中で、いろいろな価値観、人生観を手に入れていった。
普通の大学生なら、
「セブでダイビング、イエー!」で終わるところを、
いろんなものを見て、体験して、感じていく学生たち。

久しぶりに、APUのそんな雰囲気を体験できて良かった。

↓実は28日は、私のブログを見たというマニラ在住のAPUの先輩とお会いしました。APU生、世界は狭い!
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国際協力・ボランティア | コメント(0)

【vol.490】条件=隊員経て五輪へ行こう

2016年09月29日
先日、ネットで、
東京オリンピックの「ボランティア」の募集要項がブラックすぎると話題に→「ボランティアで求めるものじゃない」「これを無償で集めようと…?」
という記事が話題になっていた。
発端は、どうもこの記事のようだ。

2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が求めるボランティア像を明らかにしたところ、「タダ働きでは」「ブラック過ぎる」と反発の声が上がった。組織委がタダで人材を集めては虫がよすぎるのだろうか?
   2016年7月22日付朝日新聞「条件厳しいのに…タダ働き? 東京五輪ボランティア像」より



この記事によると、
ボランティアの以下の7つの条件が
「厳しすぎる」「これで無報酬とはどういうことか」
ということのようだ。
その条件とは、

①コミュニケーション能力がある
②日本語に加え、外国語が話せる
③1日8時間、10日間以上できる
④採用面接や3段階の研修を受けられる
⑤20年4月1日時点で18歳以上
⑥競技の知識があるか、観戦経験がある
⑦ボランティア経験がある


とのことだ。

このラインナップを見ていて思った。
これ、協力隊経験者なら当てはまるんじゃね?
一つ一つ、説明していきたいと思う。

①コミュニケーション能力がある
まぁ、これはもっとも当てはまる条件。
海外の言葉も違う国に派遣され、
大抵は、その町で唯一の日本人。
言葉、ジェスチャー、顔の表情、同じものを飲み食いする…。
さまざまなものを駆使して、現地の人とコミュニケーションを取る。
これは、もう
コミュニケーションのスペシャリスト集団
と言ってもいいはずだ。
そもそも、協力隊を目指そうとする人は、
多くがコミュニケーション能力に長けている。
この点は、申し分なし。

②日本語に加え、外国語が話せる
まさにこの条件はうってつけでしょう!

協力隊は、派遣されるまでに2ヶ月間、
福島か長野の訓練所で、派遣前訓練を行う。
フィリピンのように英語を学ぶ国もいれば、
タイやラオスのように、文字の読み方から学ぶ国も。
それらの訓練所での勉強時間は、
中学3年間の英語の授業の3分の2にも達するという。
そして、それらの言葉を駆使して、現地の人たちと話しながら
言葉を磨いていく。

まさに、この条件に当てはまるだろう。

③1日8時間、10日間以上できる
これに関しては、経験者の帰国後の進路次第だが、
仕事をやめてきた人には、時間的に余裕がある場合も。

④採用面接や3段階の研修を受けられる
協力隊が派遣されるまでのプロセスは、
1、書類審査(1次試験)
2、面接(2次試験)
を経て、これを突破すると候補者となる。
それを経て、派遣前訓練の言語テストをクリアすれば、
晴れて協力隊員と認められる。
このプロセスを考えれば、
面接や研修なんて、何のその、だろう。

⑤20年4月1日時点で18歳以上
青年海外協力隊の派遣は、
20歳から39歳まで。
なので、経験者であれば、
自動的に、18歳はとうに超えていることになる。
ちなみに、最新の協力隊受験資格は、
生年月日が1976年11月5日から1997年4月1日まで。
2020年4月の段階で、間違いなく全員が18歳以上だ。

⑥競技の知識があるか、観戦経験がある
これは、知識の深さが分からないが、
大会などでの実績がすでにあるスポーツ系隊員なら
間違いなくクリアできるだろう。
小中高の部活程度でルールを知っている程度で良いなら
もっと多くの人が応募できるチャンスとなるだろうし、
私の高校時代のフェンシングのように、
あまりメジャーではない競技経験者ならば、
さらに需要があるかも?

⑦ボランティア経験がある
はい、これはまさに!
青年海外協力隊は、シニアボランティアなどと合わせて、
広く
JICAボランティア
と呼ばれる。
この2年間の経験をして、
「このボランティア経験ではちょっと…」
と言われることがあろうか!


とまぁ、
これほど、この7つの条件に当てはまる人材がいるだろうか!

無報酬や、ボランティアのユニフォームがダサいなどの批判はあるかもしれないが、
スポーツ好きの人なら、
世界最高峰の選手たちを間近で見られるチャンスを
逃したくはないだろう。

ただ、協力隊経験者となるためには、
協力隊に、実際に派遣される必要がある。

そんなあなたに朗報です。
あす30日から、
青年海外協力隊2016年度秋募集が始まります!
詳細はこちらから!

私の後任の募集()も始まる秋募集。

スポーツが大好きで、
東京オリンピック・パラリンピックを間近で見たい!
多くのトップアスリートのために働きたい!
でも、条件が厳しい…
と考えている皆さん。
その情熱を、途上国のために向けてみませんか!

そんな動機でもいいと思うんです。
ぜひ、多くの方の応募をお待ちしています!

ちなみに、10月12日の大分での説明会、
帰国オリエンテーションを前日に終えたばかりのヤマジが登場します!
大分の方々はぜひ!

↓ただ、組織委員会のホームページによると、ボランティアの募集は「2018年夏頃を予定しています」とのこと。おそらく今受験するとまだ帰国前なので、海外からの応募ができれば良いですが…。ちなみに、協力隊は海外在住でも応募可能!
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【vol.489】不要=比で使わなかった3点

2016年09月29日
ちょうど1年前、
「フィリピンに持ってきて良かった!」
というものを紹介した(vol.254海外持参おススメ6点)。

そして、任地での活動が終わった今、
日本から持ってきたけど、使わなかったもの3点
を紹介してみたいと思う。

【1】スーツ系
福島での派遣前訓練は、
基本的に語学の授業などはスーツ。
(私たちは真夏の訓練だったので、クールビズだったが…)

なので、その流れをくんで、
フィリピンにも、1週間分くらいのカッターシャツを持参し、
さらに、任地へと持っていっていた。

しかし、
1度も着ませんでした。

というのも、フィリピンは、ポロシャツが職場のユニフォームというところが多く、
ポロにジーパンでも、公式の場に着ていけるフォーマルになる。
なので、
フォーマルな場でも、スーツの出番無し!

正直、この2年間で着たのは、
年2回のボランティア総会(JICAボランティアによる全体会議のようなもの)くらい。

しかも、大変なのが、
フィリピンは海辺などの町が多く、湿気が強いので、
スーツも、カビがはえてしまうし、
カッターシャツは、襟の部分が湿気で皮脂汚れが酸化し、
黄ばんでしまう。


今回、任地に持って行き、
一度も着なかったカッターシャツたちを再度マニラに持って上がり、
ドミトリーのお手伝いさんに手伝ってもらい、
漂白剤につけて2日掛かりでキレイにせざるを得なかった。。
カッターシャツ黄ばみ
【写真】=お手伝いさんに教えてもらい、漂白した私のシャツたち(9月27日)

正直、1、2枚あれば十分だし、
足りなくなれば、
フィリピンではユニクロより安いSM(財閥系のスーパー)とかあるし!

持ってこなくて十分です。

【2】革製品
これも、スーツ系の理由と一緒。
簡単にかびてしまいます!

私も、日本で使っていた革の財布を持ってきたが、
ちょっと2、3日も置いておくと、
すぐにカビだらけ。
結局、フィリピンで布製の財布を買って使っていた。
一応、離任のときに磨いてみたけど…。
お気に入りのものは、持ってこないのが吉だ。

【3】Kindle
以前のおススメ6点に入れていたこの1点!


実は、
今となっては、ほとんど使わなくなってしまった。

というのも、私が買ったタイプは、
バックライトがないタイプ。
フィリピンでは室内でもほの暗いし、
結構な頻度で停電があるので、
「見えない!」というストレスを感じることが多かった。

しかし、
結局、スマートフォンのアプリなどを入れておけば、
見られるし、
しかも、漫画などのカラーも楽しめるし。


あまり、kindleの端末はいらないかな、というのが私の印象。

あくまで、この3点は私の感想。
これから赴任する隊員の皆さん、
ぜひぜひ任国の気候や先輩隊員の意見などを参考にして、
持って行く荷物を決めましょう!

↓まぁ、使わないものは現地の人にあげると喜ばれますよ(vol.485誰かの生活の足しへと)!
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【vol.488】荷物=追加料金は愛情の重さ

2016年09月29日
27日に上京した私(vol.487「どうせ来る」との信頼)。
任地の人たちとの別れは、かなりあっさりしたものだったのだが、
私は別の件で、泣きたい気持ちになっていた。

上京の最大の懸念は荷物。
帰国時の日本行きの飛行機は23キロ×2個まで。
しかし、国内便の無料枠は20キロまで。
はみ出た分は、私費での負担ということだった。

荷物は、任地に服などをかなり残していき、
事前にマニラに上がる際に一部の荷物を持って上がっていたので、
上京2日前の25日夜の段階では、
スーツケースの半分はあいていた。
スーツケース
【写真①】=私がフィリピンに持ってきたスーツケース(9月27日)

もう一つ、バックパックには少なくなった衣類を入れ、
うん、20キロ以内でいける!

しかし、誤算があった。
離任前日の26日、
同僚や家族、親戚たちから、
お土産をもらうわ、もらうわ。
住んでいたビコール地域特産のピリナッツや、
ココナッツを使ったココジャム、
マニラ麻を使った財布…。

あっさり、スーツケースの半分は埋まってしまった!

もちろん、いただいたお土産を任地に残していくわけにはいかず、
「まぁ、ちょっとくらいの追加料金なら、
 払ったほうが早いかなー」
と思い、空港へ。

空港でチェックインして、驚かされた。
まさかの22キロオーバー!
マジか!
私が使ったフィリピン航空は、
1キロ当たり200ペソの追加料金になるので、
まさかの4400ペソ(約1万円)のお支払い…。
4400ペソ
【写真②】=フィリピン航空からレシート(9月27日)

正直、
このお金があったら、自分で買った方が早いわ!
というレベル。
任地の人たちは、マニラに上京する際、
多くがバスを使う。
バスは、よっぽど大きくてかさばる荷物でなければ、
重量制限や追加料金はなし。
だから、あまり持っていく重さまで、頭が回らなかったのだろう。。

でも、これは、
私に、日本に帰ってからもティナンバックを思い出してほしい
という、愛情の表れだと理解している。
愛情は、プライスレス。
お金で買えるものではない。


なので、これらの“愛情”は、
帰国したらお分けしますので、
日本の皆さん、楽しみにしていてくださいね!

↓おそらく、帰国便も重量オーバー不可避! でも、それぞれに思い入れのあるものばかり。またお金を払ってでも、持って帰ります!
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【vol.487】離任=「どうせ来る」との信頼

2016年09月28日
ついに、任地ティナンバックを離れた。
今、マニラのJICAのドミトリー(寮)で、この投稿を書いている。


任地を離れるとき、どんな感情を抱くのか―。

フィリピン最後の夜は、なんかうまく寝付けず、
夜遅くまで起きていた。
私は、あまり涙を流すたちではない。
こういう別れの場面で涙を流すことができず、
「もしかしたら自分は、どういう感動のできない冷血な性格なのか」
と心配もしていた。

すでにみんなとはさよならパーティを終えていたので、
最後の夜は、特に何もせず。
会えなかったホストファミリーの親戚にあいさつに行き、
見上げた夕陽。
茜空が大きく広がり、
「この大好きな夕陽も、当分見られないんだな」
と思うと、ちょっとしんみりした。
ティナンバック最後の夕陽
【写真①】=ココナッツ農林の上を染めるティナンバック最後の日の夕陽(9月26日)

そして当日。
前日は夜遅くまで起きていたのに、
結局目が覚めたのは5時ごろ。
部屋を出ると既にタタイもナナイ(ホストファーザー、ホストマザー)もおきていて、
タタイが
「ケンゾウ、サヨナラ
 ティナンバックにいてくれて、ありがとう」

と一言。
おいおい、泣かせるなよ。。

そして、
いつものように水浴びをして、
いつものようにナナイの作ったフライドライス(ニンニクで炒めたご飯)を食べ、
コーヒーで一服。
そして、部屋の片付けと荷物の最終チェック。
空港までは、ホストファミリーが車で送ってくれることになり、
家を出るのは午前9時。
それまでは、配属先に最後のあいさつをすることにした。

みんな、どんな顔をして送り出してくれるかな?
行ってみると、拍子抜け。
みんな、
「あれ、きょうだっけ?」みたいな表情。


まぁ、先週にすでにさよならパーティをやってくれた(vol.483きっと、寂しくなるはず)し、
もうずっと最近は送別ムードだったから、「今さら」という感じ。

それより何より、みんな
「どうせ、また帰ってくるんだろう?」
というムード。
まぁ、協力隊の任国の中でも、
日本からの距離がもっとも近い国の一つ。
帰って来やすい上に、
多くの友達、大切な人たちができた。
会う人会う人に、
「おお、日本帰るのか、いつ(ティナンバックに)帰ってくるんだ?」と聞かれ、
「すぐだよ」
とも答え続けてきたし。

でも、この「どうせ」という感情は大事。
どうせとは

経過がどうであろうと、
結果は明らかだと認める気持ちを表す語。
     デジタル大辞泉より


とある。
だから、どうせ帰ってくると思われているということは、
「必ず帰ってくる」という結果を、皆さんが信じてくれている
ということだろう。
これは本当にうれしい。
だからみんな、
「ちょっと2、3ヵ月、
 ケンゾウは日本に出張に行ってくるだけだろ」
というような、
たまにマニラに上がるときと同じような雰囲気で送り出してくれた。
配属先・最終日
【写真②】=最後に配属先メンバーとパシャリ(9月27日)

一番お世話になったナナイが、空港まで送ってくれたのだが、
町役場でのあいさつが長引き、
「はい、早く出るよ」と車に押し込まれ、
感情的な気分に浸ることなく出発。
そして、途中で昼飯を取ったので、
着いたのは飛行機出発の45分前ギリギリ。
すぐにチェックインを済ませて写真を撮って、
「じゃあ、またね」という感じで送り出してくれた。
ナナイ・最終日
【写真③】=空港まで送りに来てくれたナナイ(右から2人目)や親戚、語学のエバ先生(左、9月27日)

絶対にすぐに帰ってくる。
また帰って、会いたい人がたくさんいる。
「第二の故郷」と呼べる場所がまた一つ、
私の中で増えた。


↓もっと涙涙の展開を覚悟していたんですが…。ティナンバックのみんな、すぐにまた会いに行くよ!
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.486】完工?=木酢工事の結果いかに

2016年09月26日
いよいよ、任地で過ごす最後の日。
このブログを散々にぎわせてきた木酢工事だが、
その結果がどうなったかというと…

…離任までに、工事終わりませんでした。

まぁ、これはかなり、仕方ない面もあり。
先週の金曜日23日から日曜日25日に掛け、
わが任地ティナンバックは、雨続き。
この天候のおかげで、屋根部分の溶接工事に入れず、
(溶接には電気を使うため、濡れると危険)
結局、屋根の工事が再開したのは、26日から。
完成を見ることなく、任地を離れることが決定した。

さらに言うと、工事作業員が話すことには、
屋根は、27日午後には完成するということ。
おい、それ、私が任地を離れて数時間後じゃん!笑
翌日には窯部分の補修工事をして、
29日か30日には試験運転をできる見込みという。
あと数日、任地にいられたら…。
私はこの2年間、サヤン(現地語で『モッタイナイ』)という言葉にこだわり、
(サヤン:vol.47町外8割もったいないvol.194モッタイナイの極致へ
「自分の状況が、一番モッタイナイよ!」という、オチ付き。笑

最終日は、月曜朝のフラッグセレモニーからスタート。
「最後なので、役場の人たちと写真を撮りたい」というと、
「じゃあ、みんなの前であいさつしろ」という話に。

あまりしんみりしたあいさつは苦手、
というか、現地語でうまく話せる自信はなかったので、
笑いを取りに。
「ケンゾウです。農業事務所で働いていました。
 独身です。彼女いません。
 奥さんを探しています。
 もし日本に行きたいという人がいたら、
 今日中に私に連絡してください。
 独身のきれいな女性限定です」


…やや受け。笑
でも、最後に記念になる写真が撮れて良かった。
木酢最終日4
【写真①】=町役場の人たちと。一応スピーチのおかげで、私の周りは独身女性を固めてくれたらしい(9月26日)

そして、そのままごみ処理場に移動し、
最後の最後の、本当に最後で
木酢のセミナーが実施できたのだ。

木酢最終日1
【写真②】=参加者の前で木酢の効果について説明する筆者(9月26日)

実は、当初の予定では、
土曜日24日には木酢プラントが完成し、
日曜日25日に試験運転、
そして月曜日26日にお披露目式典と木酢セミナーという流れで企画し、
付き合いのある学校の農業担当の先生や農家などに
声を掛けていたのだ。
しかし、工事は遅延。
でも、参加者には声を掛けてある。
ならば、セミナーだけでもやっちゃえー!という、
どちらかというと、私たちの自己満足を満たすためだけの
セミナーを開くことになったのだった。

まだ、プラントも完成していないし、実物の木酢もないのに…。

でも結果は、
参加者の人たちに喜んでもらえたので及第点!
木酢最終日5
【写真④】=参加者たちと、木酢をバックにハイポーズ!(9月26日)

未知のものである「木酢」というものを知ってもらえたこと、
そして、セミナーで伝えるべきことを、同僚ロッシーさんと考えられたこと。
この日使ったデータはすべて彼女に渡してあるので、
今後、次のボランティアが来るまでも、
彼女が率先して、木酢を広めてくれるだろう。
参加者が帰った後、ロッシーさんの
「Success(成功)!」
という、「サ」の前にさらにためがあるような言い振りが、
私たちの達成感を物語っていた。
「せっかくなら、チェンバー(冷却装置)も載せてみよう」と、
完成予想的な写真も撮ることができたし。
木酢最終日2
【写真⑤】=窯の上にチェンバーを載せてみた。見にくいが、チェンバーには私の名前入り(9月26日)

そんなこんなで、
実りのある成果を残せたとはいえないが、
最後の最後で妙な達成感だけは味わえた、
そんなティナンバックの最後の日が、こうして終わっていった。

↓朝のフラッグセミナーから12時間(現在、現地時間午後9時前)経ちましたが、「日本に行きたい」という女性からの連絡はなし。出発する、明日の朝まで粘ります!笑
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コミュニティ開発活動記 | コメント(0)

【vol.485】古着=誰かの生活の足しへと

2016年09月26日
この2年間、買い足したものといえば、
服だ。
熱帯性気候であるフィリピンは年中25度を超える暑さが続き、
汗をかきやすい。
だから、日本から持っていった服だけでは足りなかった。

加えて、
フィリピンの協力隊では、
「フィリピンJOCV奨学金委員会」という、
隊員による自主運営組織が活動。
寄付金などを集めて、
貧しいながらも勉学への高い志を持つ児童・生徒に対し、
奨学金を渡して学費などの支援をしている委員会だ。
同委員会では、毎年のボランティア総会(隊員による年2回の会議)で、
委員会オリジナルのポロシャツを販売。
私も、「支援になれば」と思い、
ほぼ全シリーズを買い揃え、ちょっとした支援をさせてもらった。

ほかにも、フィリピン人は
「I love(Loveはハートマーク) ○○」など、
地名が入ったTシャツを買うのが大好き。
だから、島や地域ごとに変わったデザインのものが多く、
私もせっせと買い足していった。

今回、荷造りを進める中で、
その多くを、古着として任地に置いて帰ることにした。
古着たち
【写真】=自宅の一角に積み上げられた私の古着たち(9月26日)

内容としては、Tシャツやポロシャツから、
タオルやシーツ、枕カバー、
果ては、日本から持ってきた浴衣に至るまで。

理由としては、
荷物の重量制限があること。
帰国の飛行機は、23キロ×2個まで。
持ち帰るものも厳選しないと。

そして、
その多くが、色あせ、穴が開いてしまったこと。
任地では、洗濯は手洗い(vol.228はじめての手洗い完了)。
多くの隊員からの経験談によると、
手洗いの方が、服の繊維は傷みやすいようだ。
そのほとんどが、「ちょっと日本で着るには…」というほどになってしまった。

そしてこれが最大の理由。
この町ではクリスマスに、
貧しい家庭に古着を分け与える。
vol.24幸せは分け与えるもの
キリスト教の教えに、
富める人は貧しい人にものを分け与えるもの、というものがあるようで、
クリスマスはローラ(おばあちゃん)の誕生日でもあり、
家には、400人近い人が訪れる。
そしてご飯を配り、古着を分け与えるのだ。

基本的に、私は物をただ分けるだけの途上国支援はしたくない。
でも、この2年間、
本当に日々数十ペソの稼ぎしか得られないという家庭を
多く見てきた。
vol.207より1ペソでも稼ごう
本当は、そういう家庭に一つでも多くの有機農業の技術を伝えたかった。
でもできなかった悔しさ。その罪滅ぼしというか。

隊員の別の団体に「古着委員会」もあり、
マニラに集めて、イベントなどで配る活動をしているが、
まずは任地を優先したかった。

だから、ナナイ(ホストマザー)には
「クリスマスに、貧しい人たちにあげてね」
と伝えてある。
ナナイも「これはケンゾウからだよーって配るよ」って。
クリスマスに、一人でも喜んでくれる人がいたらいいな。

↓もちろん、職場のユニフォームとか、みんなでつくったTシャツとか、思い入れのあるものは持って帰ります。でも、だいぶ古着に回したなぁ。喜んでくれるかな?
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.484】復職=この仕事で生きていく

2016年09月26日
夢を見た。
夢の中で私は、2年間の活動を終え、
(でも、『あしたは任地最終日なんで、あまり遅くまでいられない』
 みたいな会話もしていたな)
古巣の新聞社にあいさつに行っていたのかな?
でも、なぜかそこで、取材ネタを1本ふられていた。

新しく新刊を出版した、小説家のネタ。
そこで私は、なぜか会いに行くことなく、
電話でインタビューを敢行。
必死に書き上げ、1本の原稿に仕上げていた。

しかし、そこでデスクから電話が…。
「今から、そこ原稿をプリントアウトして、
 俺の自宅まで持ってこい」。

時間は午前1時すぎ。
「あしたはフラッグセレモニー(毎週月曜日のフィリピン公務員の儀式)だから
 早く寝たいんだけどなぁ」
なんてごちながら、自宅マンションを訪ねる。

すると、なぜかそこには、かつての記者の後輩たちが。
この2年で、辞めた当時の私なんかよりも、
ずっと立派な記事を書くようになった後輩たち。
彼らの目の前で、記事に目を通すデスク。
そして、デスクが一言。
「ヤマジ、もうこれは原稿じゃないわ。
 雑誌とかの宣伝記事なら、使えるかもしれないけどな」


その一言で、夢の中の私は悟った。
「やっぱり、新聞記者には向いていなかったな」と。
そして、デスクに告げる。
「やっぱり、私は記者には戻りません。
 この国際協力、NPOの分野で生きていきます」


そう宣言した私を、
今度は当時の先輩や同期が囲む。
「何で、記者に戻りたいと思っちゃったんでしょうね」と私。
「そりゃ、記者とシャブ(覚せい剤)は、
 一度体験すると、なかなかやめられないからね」と先輩。


「じゃあ、これからどうするの?」という問いに顔を上げると、
私を囲んでいたのは記者仲間ではなく、
今の協力隊の仲間たち。
フィリピン隊員だったり、ほかの国に派遣された同期だったり。
「やっぱり、ほかの国で国際協力に携わりたい」
と私が宣言をしたところで、目が覚めた。
記者時代の夢は今でもたまに見るが、
大概、めちゃくちゃに怒られる夢ばかりだったが、
きょうは、すがすがしい気分で起きた。

さぁ、この仕事で生きていく、覚悟はできている。
そのためにも、任地の仕事をまとめんば!

こうして、
任地ティナンバック最後の一日が、今始まる。

↓さぁ、いよいよ最後の一日です。どんなことが待ち受けているやら!
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【vol.483】寂寥=きっと、寂しくなるはず

2016年09月25日
ここ数日は、毎晩送別会続き。
23日は、配属先のパーティ。
デシピ1
【写真①】=事務所で開かれたパーティで、熱唱するボス(左から2人目、9月23日)

いろいろ、スケジュール(vol.475自分で決めさせてよね)や、
終わらない木酢の工事ですったもんだはあったが、
結局、
「ケンゾウに感謝したい」と言ってくれ、
本来、送別される側がスポンサーのはずのフィリピンで、
同僚たちがお金を出し合って、パーティを開いてくれた。

本当にありがたい。

みんなで、チキンを焼いて、魚を焼いて、
チキンとウリのスープを作って…。
そして、恒例のビデオケ(カラオケ)。
最初、まったく知らないおじさんが入ってきて、
ずっと一人でマイクを独占し続けたときは腹が立ったが、
(しかもうまいのが鼻につく。笑)
ひたすらジン、ジン、ジンを飲み続け…。

最後、促されたメッセージ。
「たまには、怒ることもありました。
 でも、本当にティナンバックで働けてよかった。
 皆さんと出会えてよかった。
 いろいろと支えてくれて、ありがとう」

偽らざる、自分の本心だった。
デシピ4
【写真②】=同僚たちとグループピクチャー!(9月23日)

そして、24日は、
主に家族、友達向けのパーティ。
フィリピンのパーティの定番、
レチョンを買っちゃいました!
デシピ2
【写真③】=私が注文したレチョン。50キロほど(9月24日)

レチョンとは、豚の丸焼きのこと。
最初は、ナガの業者から頼んだら、と言っていたナナイ(ホストマザー)だが、
実際、ナガに値段をチェックしに行くと、かなり高いことが判明。
なので、
「じゃあ、俺がレチョンを作る!」
と言ってくれたのがタタイ(ホストファザー)。
タタイは豚の飼育をやっているので、
その子豚をさばき、
6時間かけてじっくりと焼いてくれた(炭火焼き!)のだが、
焼いてくれたのは、豚小屋の前。
デシピ・レチョン
【写真④】=炭火で焼かれる豚。奥の白い屋根が豚小屋(9月24日)

仲間たちの前で焼かれる豚さん…。

同じ地域で活動する同期隊員や、
ビコール語を教えてくれたエバ先生も駆けつけてくれ、
大変、にぎやかなパーティとなった。
デシピ3
【写真⑤】=家族や友達たちと(9月24日)

この数日間、多くの人から
「日本に帰ったら、○○が恋しくなるだろう?」
と聞かれる。

一つはお酒。
フィリピン人にもお酒好きは早々とばれてしまったのだが、
冷蔵庫を持った店が少ないうちの町で飲まれるのは、
ブランデーかジンばかり。
ブランデーとジン
【写真⑥】=24日のパーティで用意したブランデーとジン。結局、数回買い足した

ブランデーは1リットルで100ペソ(約200円)で、
ジンは、330ミリで45ペソ(約90円)。
安くて酔える!
「日本にはジンもエンペラドール(ブランデー)もないのか!?」
と驚かれる。
本当に、この安さが日本にもあればいいのに。

あとは、フィリピンのうるささ。
みんなが大声で叫ぶように話し、
パーティには必ずビデオケをレンタルしてきて、
隣近所に気にすることなく大声で歌う。
ちょっとした物音さえも気にしあう日本では
考えられない文化だろう。

でも、一番寂しさを覚えるのは、
この町の人たちと、これまでのように会えなくなる
ことだろう。

24日のパーティで、
ホストファミリーの娘であるジャジャが、
「ケンゾウが帰ったら、本当に寂しくなる」
と号泣。

それを見ながらナナイも
「ケンゾウとジャジャは、きょうだいだからね」
と言う。
日ごろは男勝りにバイクを使いこなし、
重いものも運んだりするジャジャが、
そんな風に泣いて寂しがってくれると思わず、
私もちょっと、もらい泣き。
ここでは
「ケンゾウ・アスクラ」(アスクラはホストファミリーのファミリーネーム)
と呼ばれてきた私。
号泣するジャジャに思わず、
「早いうちにまた戻ってくるから」
と約束させられてしまった。

本当に、多くの思い出ができたティナンバック。
ここでの生活も、残すところあと2日。

↓きょう、完全に二日酔いの中、パッキングを進めましたが、なかなか断捨離が難しい。。
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【vol.482】痛飲=あと何回飲めるのかな

2016年09月22日
「ケンゾウ、マイノム?」

ほぼ毎日のように、
午後4時過ぎになると誰かが、こう呼びかける。

マ(Ma)は、動詞の未来を表す言葉、
「Will do」みたいな。
そして、
イノム(Inom)は、
水やお酒などを「飲む」
の意味。
すごく、日本語と似ている気がするのだが、
「マイノム」を訳せば
「ケンゾウ、飲むぞ!」
となるのだ。
さらに、こぶしを口の前で傾けて、
さかずきで酒を飲むようなしぐさをすれば、なお完璧。

フィリピンに来る前から、
任地で
「三夜待(さんやまち)」を開きたい
と思っていた(vol.263酒共にし事務所仲良く)。
三夜待は、佐賀の風習で、
酒やつまみなどを持ち寄り、
会場を仲間間で持ち回りで開く飲み会のことだ。
佐賀ではだいたい、月1回ペースで開いていたので、
フィリピンでも同じくらいのペースで集まり、
食べ物や酒を持ち寄って、
お互いを知る「飲みコミュニケーション」の場としたい、
と考えていた。

しかし、フィリピンに来て、認識が変わった。
「ここでは、ほぼ毎日飲んでいるよ」
アフターファイブ飲み
【写真】=21日のお酒は、やっぱりジンだった(9月21日)

飲む日を決めなくても、
誰かが飲みたくなれば、仲間を誘い、
続けられていた飲み会システム。
おかげで、
何の障害もなく、お酒を飲むことが出来るようになった。

終業の午後5時が近づくと、
大抵、私が近くのサリサリ(商店)にお酒(ジン)を買いに行き、
スタンバイ完了。
同僚は、その日のおかずの残りを出したり、
自分たちでBBQ(焼き鳥のような串)を買ってきたりして、
つまみとする。
BGM代わりに、「wowowin」というバラエティ番組を掛ける。
クイズをしたり、カラオケをしたり、
うちわで卵をあおって転がして的に入れたりなどのゲームを楽しみ、
なぜか後ろでセクシーなお姉さんたちが踊り続けるという、
夕方5時からの番組。

話の内容は、仕事の愚痴であったり、
フィリピンの政治についてだったり、
飲むのは男の職員ばかりなので、下ネタの話になったり。

最近は、体調が悪かったり、仕事が忙しかったりで、
ちょっと誘いを断っていたが、
21日は、残り出勤数も少なくなってきたということで、
ついつい、痛飲してしまった。
JICAの調整員への最終報告(vol.481色んな種はまいてきた)や木酢工事の確認作業などで疲れているところに、
度数40パーセントの強いジン。
完全に、この日は、帰ってすぐに寝てしまったようだ。

でも、
あと何回、このメンバーで飲めるかな?
私に残された出勤日は、残り3日。


↓フィリピンは、一つのショットグラスで一気飲みをして、グラスをみんなで回し飲みするスタイル。酔いの周りが早いのです。
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