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【vol.331】陛下=何とか超特報をお届けを

2016年01月31日
今回は23日から28日朝までマニラに滞在したが、
その5泊の間に、
・フィールド調査団のプレ発表会
・中間報告(フィリピン人スタッフ向けに英語)
・農業勉強会
と3本の発表の機会をいただき、
その合間に、50周年記念式典に向けた打ち合わせ(英語でフィリピン人スタッフとも)も入り、
もちろん多くの隊員がマニラに上がってきたので飲み会もしたいし、
立命館校友会にも参加させていただいたし、
記者時代の先輩がフィリピンに来るというのでお会いしたしで、
かなり忙しく動き回らせていただいた。
もちろん、財布もフル回転で減っていった。笑

そんなこんなしていたら、
毎月25日の隊員通信「月刊やまじタイムズ」の発行日が過ぎてしまった!
今までは、どんなに忙しくても、1日遅れで発行していたのに…。
もちろん、今回は26日の超特報(天皇皇后両陛下へのご接見)を入れたかったので
25日に出すのは難しいかな、と思っていたが、
その前にもプレゼンの準備などに追われていて、
毎日6時過ぎに起きて、12時過ぎに寝る生活。
それでもいろんな仕事を後回しにしてしまっているから、
とても予定稿(こうなりそう!という原稿を準備しておくこと)を準備する暇さえなく
本日の発行になってしまった。
今回は、どちらかというと任地以外の活動の方が多い紙面になってしまったが、
こればっかりは仕方ない!

月刊やまじタイムズ第13号1面
月刊やまじタイムズ第13号1面

月刊やまじタイムズ第13号2面
月刊やまじタイムズ第13号2面

もちろん、今回の1面は、天皇皇后両陛下とのご接見!
裏面は、年末年始に行った、故小野田少尉が潜伏していたルバング島の話を(vol.318ルバングに少尉記念碑)。
島探訪記で紹介したミンドロのプエルト・ガレラは
ゆっくり時間ができたらブログでも紹介したい。

ということで、今号もぜひお楽しみください!

PDF版月刊やまじタイムズの発行も始めました!

↓過去の月刊やまじタイムズはこちらから。画像ファイルで見づらい方は、PDF版を送付させていただきます!
第12号
第11号
第10号
第9号
第8号
第7号
第6号
第5号
第4号
第3号
第2号
創刊号
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ライター・ブロガー論 | コメント(0)

【vol.330】放映=50年へねぎらいの言葉

2016年01月31日
vol.328両陛下にお会いした話vol.329あまりのお人柄に感動のつづき

両陛下がお部屋へと戻られ、
JICAボランティア(青年海外協力隊、シニアボランティア)のお役目は終了。
みんな、バスへと戻ったが、
私には、まだ一つ役目が残っていた。
JICAからメディア対応(インタビューを受ける人)に指名されていたのだ。

JICAの調整員さんからは
「山路さん、元記者なんだから、
 メンバーに入れておきましたよ!」なんて言われたが、
もちろん、取材を受けた経験なんて、協力隊に受かってから。
あまりうまくできないんだけどなー。

そして、夕日が水平線に吸い込まれ、
茜色に空を染めるマニラ湾をバックに、
私たちメディア対応組5人の取材が行われた。

取材は、いわゆる「ぶら下がり」と呼ばれるもので、
代表してどこか1社(大抵は記者クラブの幹事社)が質問をし、
それに対し、私たちが答えるというもの。
最初に聞いてくださったのは、フジテレビ?かな。
見たことのあるアナウンサーかキャスターの方だった。
「お名前をフルネームと出身地、そして両陛下からどんなことを聞かれ、
 それに対してどうお答えになったかを教えてください」
そして私が答えたのが、陛下からはごみ問題のことを、
皇后陛下からは、育てている野菜と、遠くから来たことへの感謝の言葉、
そしてそのお言葉で活動の励みになるという感想だった。
vol.328両陛下にお会いした話でも紹介したNHKやTBSは、
この部分のコメントが使われたようだ。

でも、私個人としては、その後のコメントを使ってほしかった。
改めて両陛下にお会いした感想を聴かれ、
「とても光栄に思いました。
 また、今年はフィリピンに協力隊が派遣されて50年の節目の年にこうしてお会いできたので
 先輩方にとっても、名誉と思ってもらえるのではないかと思います」


どうです、50周年記念式典委員長としての、
JICA側の宣伝にもなるこの優等生発言!笑


冗談はさておき、
やはり今回お会いできたのは、
これまでの50年間、先輩隊員たちが築かれてきた、
草の根での日本とフィリピンの関係があったればこそだと思う。

初期に行かれた隊員にお会いしたとき、
石を投げられたという話も伺った。
派遣が始まったのは、まだ戦後21年という時期。
もちろん日本へのわだかまりはあっただろう。
しかし、地道に活動に汗を流され、農村部に入り込んで関係を築いてきた。
今やフィリピンが、有数の親日国になった要因の一つを、
必ず協力隊の活動が担ってきたのだと思う。
だからこそ、今回いただいたお言葉は
50年間で活動してきた、1583人全員へのねぎらいのお言葉だと思う。

ちなみに、フィリピン国内でもこのご接見の様子は放映されたそうで、
Nanay(ホストマザー)や、JICA事務所のフィリピン人スタッフからも
「ケンゾウがテレビに出ているのを見たよ!」との連絡をもらった。
ちなみに、Nanayからは
「なぜ、ケンゾウ・ヤマジ・アスクラ(アスクラはホストファミリーの苗字)と名乗らなかったの?」
と、冗談交じりのお小言を言われたが。笑

ちなみに、翌27日にマニラ市内で買える現地紙、日系紙、読売新聞を手に入れたが、
日系紙のまにら新聞と読売以外では、
3行だけ「陛下は到着後、青年海外協力隊と会った」と書かれていただけだった。
残念。
天皇陛下各紙
【写真】=翌27日に購入できた現地紙や日系紙などの新聞(1月27日)

とまぁ、こんな感じで、一世一代の天皇陛下へのご接見は
幕を閉じたのであった。

ちなみに、JICA事務所がまとめてくれた、
天皇陛下のフィリピンご訪問や協力隊ご接見に関する
日本のメディアによる報道です。
一部リンクが切れるかもしれませんが、ぜひ見てください!

■毎日新聞
両陛下比訪問 元青年海外協力隊員 反日「直面」絆育む
http://mainichi.jp/articles/20160126/k00/00e/040/228000c

■毎日新聞
両陛下 27日に追悼の慰霊碑に供花へ フィリピン訪問
http://mainichi.jp/articles/20160127/k00/00m/040/109000c

■毎日新聞
皇室 両陛下、フィリピン入り 関係発展、期待強く 市民ら「日本に好印象」
http://mainichi.jp/articles/20160127/ddm/041/040/107000c

■読売新聞
両陛下の比訪問日程決まる…若い世代とも交流
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20160108-OYT1T50036.html

■朝日新聞
両陛下がフィリピン到着 アキノ大統領らが出迎え
http://www.asahi.com/articles/ASJ1N2QN7J1NUTIL005.html

■産経新聞
両陛下、フィリピンにご到着 戦没者に心寄せ
http://www.sankei.com/life/news/160126/lif1601260033-n1.html

■日経新聞
両陛下、フィリピン到着 海外協力隊員と夕日鑑賞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26HB1_W6A120C1CR8000/

■東京新聞
鎮魂と友好を願って 両陛下フィリピン訪問
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016012702000121.html

■NHK
両陛下 フィリピンに到着 親善と慰霊へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160126/k10010386411000.html

■TBS
両陛下、フィリピンに到着し青年海外協力隊員と会談
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2688761.html

■テレビ朝日
フィリピン訪問の両陛下 青年海外協力隊員と懇談
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000067018.html

■FNN
両陛下、フィリピンご到着 青年海外協力隊員と懇談に臨まれる
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00314683.html

■テレビ東京
両陛下フィリピン訪問
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/news/post_105107

■中日新聞
「犠牲者、心に」慰霊の旅 フィリピン両陛下訪問
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016012702000071.html

■北海道新聞
両陛下、フィリピンに到着 札幌出身の青年海外協力隊員とも懇談
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0227453.html



↓今回で、天皇皇后両陛下とのご接見ルポは終了です。いかがだったでしょうか? 繰り返しになりますが、本当に貴重な経験をさせていただきました! さらに活動を頑張らないとですね!
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【vol.329】夕日=あまりのお人柄に感動

2016年01月31日
vol.328両陛下にお会いした話のつづき

ホテルのドアが開かれ、警備員や政府関係者の黒だかりの中を、
白シャツの男性と黒いスーツ姿の女性が、
ゆっくりと歩を進められる。

「両陛下だ!」

会場となったホテルでは、その日も一般客が宿泊しており、
両陛下が通られた道沿いには、
プールで遊ぶ人たちが。
日光浴をしながら寝転がる人から手を振られても、
にこやかに手を振り返されるお二人。
テレビで何度も見た光景が、今、目の前に!

派遣前やOBが謁見したことはあるが、
天皇陛下のフィリピン訪問自体が初めてなので、
現役フィリピン隊員でお会いできるのは、私たちが史上初。
その瞬間が、刻一刻と近づいてきていた。

そして、私たちの列の前にいらっしゃると、ここで一言。
「二手に分かれましょうか?」
最近の両陛下は、多くの方と接見される際、
天皇陛下、皇后陛下が別々にお進みになり、お話をされるのだそうだ。

そして、最後に回ると思っていた私たちの班に、
真っ先に皇后陛下がいらっしゃってくださったのだ!
皇后様
【写真①】=ニュースを写した先輩隊員のfacebookより。右端のピンクの女性の横で、「問」の字の辺りにいるのが私です

本当に、皇后陛下とのお話をさせていただいたのは
夢のような時間だった。
3番目が私だったが、ビコール地方の場所を説明すると
「それはどのくらいここから遠いのかしら?」とお尋ねになられたので、
「ここから飛行機で1時間くらいのところです」と話すと、
「まぁ、そんな遠くからわざわざ来ていただいて、ありがとうねぇ」
とありがたいお言葉が。
そのほか、有機農業の話をしたので、
「何を育てられているのですが?」とお尋ねいただき、
「トマトやナスを育てています」と答えると
「有機農業を広めることは、大事なことですね」
とのお言葉をいただいた。
皇后陛下は、本当にこちらが申し訳なくなるほど
顔を近づけてお話になり、
私たちの話に頷きながら、耳を傾けてくださった。
私の隣の先輩隊員の番の時には
ポロシャツの襟についた虫を取っていただく優しさまで!

その後、政府関係者や自民党関係者の方と少しお話させていただき、
いよいよ天皇陛下が回ってくる番!
しかし、私たちの今回の行事としては、
一人一人にお声を掛けていただくのに加え、
夕日を見るというミッションが残されているのだ。
しかし、お二人は本当に丁寧に私たちの話を聴いてくださり、
予定の一人30秒を大幅に超えていたのだ。
だんだんと水平線へと傾いていく夕日…。

だが、本当にギリギリのところで、私たちの班にも、回ってこられたのだ。
私は3番目。2番目の隊員へのお話が終わり、
微笑をたたえられた陛下の目が、黒く焼けた私の顔をとらえる。
ついに、お話できるときがきたのだ。

天皇陛下からいただいたのは
「ごみはかなり多いのですか?」という質問と、続いて
「海にもごみは多いのではないですか?」という質問だった。


私は
「はい。多いです」と答え、海のごみに関しては
「プラスチックのごみなどが多いですので、
 それを減らせるように頑張りたいです」

と答えさせていただいた。
本当に、あっという間の出来事だった。

しかし、私の次の隊員が終わったところで、ハプニングが起こった。
やはり、夕日を見るというミッションに移るため、
ここで懇談が打ち切りとなった。
やはり、全員が話したかっただろうに…。

そして、夕日のご観賞へと移った。
陛下夕日
【写真②】=協力隊員と一緒に、夕日を観賞なさる両陛下。帰国した先輩隊員のfacebookより引用

マニラ湾の夕日は、世界一美しいといわれる。
その湾の入り口には、
戦跡コレヒドール島や「死の行進」と呼ばれる悲劇のあったバタアン半島がある。
両陛下は、石川大使にコレヒドールやバタアンの場所をお尋ねになられるなど、
今回のご訪問に向け、さまざまなことをお調べになったことをうかがわせた。

そして、夕日が沈んで、いよいよ終わりか、と思ったとき、
今度はうれしいハプニングが起こった。
JICAフィリピン事務所の丹羽所長があいさつをして懇談を締めようとすると
皇后陛下が
「まだお話になられていない方がいらっしゃいましたよね」と
懇談を続けてくださったのだ。

こうして、ボランティア全員が一度はお言葉を交わさせていただく機会が得られたのだ。

時間にして、1時間以上立ちっぱなしで、
しかも会場は屋外。
南国の強い日差しが、容赦なく照りつけられている。
しかも、両陛下は5時間ほどのフライトを終え、
フィリピンに着かれた直後。
それでも、丁寧に最後までお話を聴いてくださった両陛下。
本当にお二人のお人柄に、胸が熱くなった。

一生に残る思い出です!

↓両陛下ご接見ルポ、次回は「取材を受けちゃった篇」をお送りしようと思います! 
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国際協力・ボランティア | コメント(0)

【vol.328】接見=両陛下にお会いした話

2016年01月30日
26日は、ずっと携帯を持つことが許されず、
バッテリーも切れていたので、
やっと開けたのは現地時間午後11時すぎ。
すると、すごい数のLINE、facebookのメッセージが入っていた。
「ニュース見たよ!」
「いきなりテレビに顔が出てきたから、びびったわ」


私は一時的に、
「時の人」の気分を味わえた。
その理由は、これだ。
陛下ご接見
【写真】=日本の知人が撮ってくださったNHKテレビニュースの画像(1月26日)

そう、
フィリピンをご訪問中の天皇皇后両陛下と
青年海外協力隊としてお会いする栄華に恵まれたのだ。


昨年、両陛下のフィリピン訪問が決まり、
時期も「2016年の早い時期」と決まった。
私たちのフィリピン協力隊派遣50周年記念式典は、16年2月。
陛下はずっと、協力隊事業に強い関心をお示しくださり、
昨年東京で開かれた、協力隊事業50周年記念式典にもご臨席していた。
「フィリピン50周年記念式典にもご参加いただけたら、うれしいなぁ」なんて
軽い気持ちで考えていた。

しかし、閣議決定で、ご訪問が16年1月26日から30日と決まり、
「その時期にマニラに上がることないし、何もないだろうなぁ」と考えていた。

しかし、雲行きが少し変わったのが昨年末。
急きょ、私たち同期隊員の中間報告の日程が
「1月18日から25日」
へと変更された。
しかも、JICA事務所からは「理由は言えない」とのこと。

ん、これはもしかして…。

そんなこんなで、私たちJICAボランティア(青年海外協力隊45人、シニアボランティア1人)は、
天皇皇后両陛下とお会いすることができたのだ。

しかも、格好は「やっぱり、JICAから支給されるジャケットなんだろうなぁ」と思いきや、
宮内庁からのリクエストで
「派遣前訓練所で作ったポロシャツか、
 現在の配属先のポロシャツに、ジーパンで大丈夫」

という、こちらが申し訳なくなるほどのラフな格好!

その上、一人一人にお話をいただいた後は、
ご一緒にマニラ湾の夕陽を見ると言う、
歴代の隊員でも経験をしたことがないのではないかというシチュエーション付きだ。

しかし、警備の関係上、
なかなか詳細を話すことができず、当日を迎えた。

会場までは、JICAが用意したバスに乗って向かう。
行きのバスの中では、一人一人が自己紹介を簡潔にしなきゃいけないということで、
みんな練習に余念がない。
天皇陛下とお会いできること自体、
日本でもそんなにないチャンスだ。
周囲では「めっちゃ緊張しますー!」という声をもらす隊員もいたが、
私はそんなに緊張も感じず、リラックスした状態だった。

会場では、職種ごとに5グループに分かれて並び、
まずは簡単なリハーサル。
JICA職員の皆さんも、少し緊張されているのが伝わってくる。
そして、リハーサル、トイレ休憩も終え、
いよいよご懇談の時間が近づく。
その時、宮内庁職員さんが大きな声で叫んだ。
「今、両陛下がお部屋を出られました!」

それまでリラックスしていると思っていた私だったが、
手のひらに、ジトッと汗が流れるのを感じた。

↓ちょっと長くなりそうなので、2本立てに分けたいと思います。いやー、貴重な機会でした!
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フィリピン50周年記念式典 | コメント(2)

【vol.327】誕生=孫誕生でナナイ大興奮

2016年01月22日
22日は、朝からNanay(フィリピン語で『お母さん』の意味。ホストマザー)が
「オーマイゴット!」
を連呼していた。
私は自室にいたのだが、
それでも聞こえてくるほど。

「何かあったの?」と聞くと、
「ケビン(Nanayの長男)の奥さんが妊娠してたんだけど、
 彼女が手術になって、
 子どもが生まれて、
 5万ペソもかかりそうなのよー!
 もう、大変!」


え、孫が生まれたの?
おばあちゃんじゃん!


ナナイ孫誕生
【写真】=朝から大興奮のNanay。「Lola(おばあちゃん)」と呼ぶと、怒りながらもうれしそう(1月22日)

どうも話を聞いていると、
奥さんは難産だったみたいで、帝王切開になったみたいなのだが、
それでお金が掛かるってことばかりを話していて、
「え、孫でしょ? Lola(フィリピン語で『おばあちゃん』)になったの?」
と聞いても、なぜかお金のことに話が戻る。
Nanay、ちょっと落ち着いて!笑

とりあえず、「オーマイゴット!」と叫びながら、
Nanayは経営するサリサリストア(小さな商店)へと出勤。
私も、本当に孫で良かったんだよな、という確証が持てないまま出勤。
仕事をしている途中で、facebookを見ていると、
ホストマザーの長女のジャジャが、子どもの写真をアップ。
やっぱり生まれたんだ、かわいい!
ナナイ孫
【写真②】=生まれたばかりの男の子。ちょっと笑っているようでかわいい!(ジャジャのFBより引用、1月22日)

やっぱりNanayはLolaになったんだ!
昼に会ったとき、Nanayに
「これでLola Choyだね!」
(ChoyはNanayのニックネーム。『Choyおばあちゃん』の意味)
というと、
「もー、Nanayでいいよ!」と怒りながらも、
やっぱりうれしそう。
家族や近所の人に
「ケンゾウがLola Choyとか呼ぶのよー」なんて言いふらし回っていたし。笑

ホームステイをしていると、
好きなもの(特に和食)が食べられないし、
夜、外出するのも制限されるし、
夜遅くまで騒いでいることもあるし、
「一人暮らししたいなー」って思うこともあるけど。
こうやって家族のお祝い事を一緒になって祝えるって、
すごい醍醐味だと思う。

ちなみに、家族たちから
「生まれてきた子のゴッドファーザーになったらいいよ!」
と勧められたけど、
仏教徒の私(母方の実家が臨済宗系寺院を営んでいるので、れっきとした仏教徒)が、
安易になってもいいものだろうか?
キリスト教にお詳しい方、教えてください。

ただ、23日からのマニラ出張では、
何か赤ちゃんグッズを買って帰ろう!
そう誓った31歳、独身であった。

↓赤ちゃんは22日現在、ティナンバックから計4時間ほどかかるソルソゴン州にいるそうな。少し大きくなったら、ティナンバックで会えるかな?
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.326】納品=一気に建設に向け動き

2016年01月21日
昨年中旬に地元の金物メーカーに発注した
木酢の冷却装置。
ついにきょう21日、
メーカー側から納品された!

木酢納入ジョエルさん
【写真①】=完成した冷却装置を前に、自信に満ち溢れた表情を見せるジョエルさん(1月20日)

正直、地元に頼むことには不安もあった。
技術は要求レベルに達しているのか。
きちんと、仕事を最後までやり遂げてくれるのか。
途中で「できない」と、投げ出してしまわないか…。

しかし、そんな裏切りはなく、
メーカーのジョエルさんは、やり遂げてくれた!
しかも、途中経過を確認しに行った15日の時点では
まだ半分ほどの工程しか終わっていなかったにも関わらず(vol.324満面の笑み見せて説明)、
そこから1週間も経たないうちでの納品!
いやー、よく頑張ってくれました!
出来も、もちろんツアーで見た冷却装置に比べれば
ちょっとチープ感は否めないけど、
別にデザイン性を追求したものではないし、OK!

さらに、今回、ステンレスなどの材料費がかなりつき、
従業員に支払った人件費を引くと、
ジョエルさんの儲けはなかったそうだ。
協力隊員、ぜひ彼に木酢の仕事を発注してあげてください!

木酢納入1
【写真②】=煙を冷やして得る木酢の受け皿も、きちんと注文どおりの出来!(1月20日)

さぁ、問題は
配属先に注文を頼んでいた、窯に使う火山石!
20日になり、注文の責任者のボスが
「火山石がないから、耐熱レンガでも大丈夫?」
と言ってきた。
陶磁器の職種である同期隊員に窯のことについて確認したところ、
燃焼温度の1000度に耐えられるのならば、
まったくレンガでも構わないとのことだった。
しかし、
そっちの方が、値段高くなりそうだけど、いいの?
正直、
窯の材料の火山石と、窯を覆う小屋の建設については
配属先のティナンバック町役場が払うということが、
今回、JICAが現地業務費を支出してくれた条件。
出してくれるならばいいのだけれど…。

私は土曜日から1週間弱、首都マニラに出張なので、
その間に石の発注と、建設場所の整地を進め、
2月の最初の週に建設となりそうだ。
ただ、これまでもかなりの紆余曲折があった木酢建設。
このまますんなり、完成と果たしていくのか!?

↓初の窯に火入れをしたときは、関係者を集めてパーティをしたいなぁ。いつになることやら…。
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【vol.325】開封=今一番割っている男か

2016年01月18日
最近、毎日のように行う日課がある。
ココナッツの実のカットだ。

現在、ココナッツオイルの研究を毎日のように続けている。
この研究を通じて得た技術や、かかる経費計算については将来的に、
ココナッツ農家に伝えて帰国するつもりだ。
そうやって農家で生産が始まれば、
ココナッツの実は、いくらでも手に入る。
目の前にいくらでもあるからだ。

しかし、ココナッツの技術指導もしているとはいえ、
配属先の農業事務所には、所有のココナッツの木はない。
なので、オイルを絞るには
マーケットで買ってくる必要がある。
この「ココナッツを買う」という行為を、毎日続けているのだ。

ココナッツオイルの作り方は簡単だ。
ココナッツミルクを絞り、
24時間寝かせると、
水、オイル、ミルクのかす部分に分かれる。
その、オイル部分をうまくすくってやるだけだ。


ココミルクについてだが、
ミルクだけを、マーケットで購入することはできる。
ただ、そうすると、業者は大量の水を投入する。
そうすることで、より簡単にミルクを絞り出すことができるからだ。
しかし、そうして作られたミルクは、薄い。
混じりっけなしの「ピュア」とは言いがたい。
なので、殻を割り、中の白い部分(胚乳と呼ばれる)を買ってきて、
それを手作業で絞っているのだ。

いわば、私はマーケットで、
この胚乳を買っている
といえるわけだが、
最近、はまっているのが、ココナッツの実のカットだ。
当初は、私が選んだココナッツを
商店の人がカットし、胚乳を削りだしてくれていたが、
せっかくなので、
私にカットさせてくれ
と頼んでみた。

ココナッツの割り方の手順は、

1、まずは上部の3つの跡を探す
2、そのうち、一つだけ色が濃いものを見つける。
3、その対角線上に走る線の中央部分(もっとも広がった部分)に狙いをつける
ココナッツの割り方
【写真】=これだと、右端の黒の対角線上に走る線のうち、親指の辺りに狙いをつける。
4、思い切りボロ(なたのような長い刃物)を振り下ろす
5、ちょっとすき間が空いたら、ボロを突っ込んで、
  中のココナッツウォーターを抜く。
6、地面に強くたたきつけると、実がぱっくり2つに割れる


というものだ。
決してボロで割れるというより、
ボロをたたきつけた振動で、ちょっとすき間ができるという感じ。

これが、けっこう難しくて…。
おそらく、言葉で言っても伝わりにくいので
カットしているところを動画撮影してみたので、どうぞ!


これを、少なくとも5個、
18日は10個も割った。
おそらく、
今、フィリピンで一番ココナッツをカットしている日本人の男
だという自負がある!笑

ただ、売っている商店の人は
女性だけど、毎回、1回できれいにパカッ!
悔しい、早くあのレベルになりたい…。
練習(購入)あるのみだ。

1個平均17ペソ(約45円)でできるアクティビティ!
皆さん、ティナンバックに遊びに来て、
ココナッツ割りから、オイル絞りまで
体験ツアーに参加しませんか!
いつでも、夜のお酒のおもてなし付きです!笑


↓もちろん、この割り方からココナッツミルクを絞れば、グリーンカレーや、私の住む地域の名物「ビコールエクスプレス」なんて料理もできちゃいますよ! お近くのココナッツを、ぜひ開けてみて下さい!笑
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【vol.324】自尊=満面の笑み見せて説明

2016年01月15日
「カナマンでも、うちで作るように広めてきてよ!」

15日の朝に訪ねたのは、木酢の冷却装置を発注した、
任地ティナンバックの金物メーカー「BELAJE WELDING SHOP」(vol.312投資で次の経済活動を)。
その代表のジョエルさんから連絡があり、
私が昨年夏の木酢ツアーの際に作ったビデオを
もう1回見せてほしい、とのことだった。

正直言うと、当初の製作スケジュールから
だいぶ押している。
発注したのはちょうど1ヵ月前。
「10日で出来る」と聞いていたので、
クリスマス前には出来上がっている予定だった。
しかし、無理もない。
昨年末から、わが町では断続的に停電が発生。
日中、まったく回復しない日も多かったのだ。
電気工具を使う仕事は、おそらくままならなかったはずだ。
それに、クリスマス、ニューイヤーと、ビック行事を挟んでの仕事。
このくらいの遅れは、十分に想定内だった。

ただ、1週間ほど前に尋ねた際は、
実はまだただの板だった。
それが、この日に尋ねると、なんと…

ウェルディングショップ

おー、なんとなく形になっている!
冷却装置は2層式で、
内側に煙をため、外側にためた水で煙を冷やすことで
液化させることができるという仕組みだ。
ちゃんと、それっぽくなっている…。

私たちが渡した設計図は、
見にくかったり、数値が入っていない箇所もあり、
そういう部分は、一つ一つ
「ここはどのくらいの太さがいいですか?」
「煙突部分は、どのくらいの長さにしましょうか?」
などと、尋ねながら、打ち合わせをしていった。

その説明をするジョエルさんの目が、すごく輝いていて…。

そして、去り際、冒頭の言葉が出たのだ。
私はこのショップ訪問後、同期隊員の任地に行く予定があった。
ティナンバックから車で約1時間の町だが、
そこ町の受注さえも受け兼ねないほど、自信に満ちた表情だった。
フィリピンでも珍しい日本の技術に取り組んでいること、
結構な額の仕事(2万5千ペソ)だということ、
冷却装置の実物を見た私や同僚のロッシーさんからほめられたこと…。
おそらく、そんな出来事や言葉が
ジョエルさんの自尊心を刺激したのだと思う。

私は、国際協力、特に村落開発分野において、
自尊心を高めることは、大きな建物を建てるよりも
より効果的な支援だと思う。


おそらく、彼は自分の技術が遠くの国から来た私や役場職員にほめられ、
かなりうれしかったのだろう。
冷却装置の作りかけをいろんな角度にして、説明してくれた。
そうやって彼は、やる気になった。
もしかしたら、ほかの町の受注をもらえるほど、頑張るかもしれない。
もしかしたら、彼がいろんな町に働きかけ、
「うちでも木酢作ってみようかな」と思う人が出るかもしれない。

そうなれば、JICAの支援なんかなくても、
この土地でどんどん、木酢が広がって行くかもしれない。
ちょっと、夢見すぎかな?

やる気を出させることが一番の近道。
分かっちゃいるが、それが何よりも難しい。
彼の満面の笑みに、改めて気づかされた。

↓来週の土日からマニラに1週間ほど出張ですが、その前には出来上がるかな? 木酢について話す機会もあるので、そのネタになればと思います。
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コミュニティ開発活動記 | コメント(0)

【vol.323】調味=口の中に広がるお寿司

2016年01月13日
先日、私の家に泊りがけで遊びに来てくれた先輩隊員から
こんな一言をもらった。
「ケンゾウさんが太る理由は完全に分かりました笑」

料理は、ホームステイ先の家族に出してもらったのだが、
来ていたときの朝食は、朝から
豚の脂身部分のフライと、ルンピア(揚げ春巻き)に、
ニンニクたっぷりのフライドライス(炒飯)。笑

まぁ、いわゆる前日の夕飯の残り。
フィリピンに来て15キロくらい痩せたというほど食の細い隊員だったが、
ちょっと無理しながらも食べてくれた。
もちろん、私はぺロリ。

朝から油物という生活は、だいぶ慣れたが(これは慣れてもいいのか!?)
きついのが、たまにある
魚責めの日。
ティナンバックはサンミゲル湾という内海、太平洋の外海という
二つの海に挟まれた地形であることからも、
やっぱり、魚の摂取量が多い。
もちろん、それらは美味しいのでいいのだが、
結構多いのが
焼き魚、揚げた魚、酢で締めた魚の3点盛り!
これに白飯のみなので、さすがにこれはきつい…。

しかし、最近、新たな“救世主”が現れたのだ。
それが、

ジャン!

日本の調味料たち

日本の調味料たちだ!

特にワサビ!

マニラに行った際、日本食材店で購入したものだが、
これが本当に万能!
フィリピンでは、キッコーマンのしょうゆは結構簡単に手に入る。
それにワサビをつけただけで、
気分だけでも和食店!

しかも、最近、禁断の食べ方を発見してしまった。
それも
ワサビ オン 白米!
白飯にちょっとワサビをつけただけ!


それだけで、なんと…

お口の中が、回転寿司やー!

残念ながら、あまり高級寿司店で食べたことがなくて舌が貧しく、
思い出せるのが回転寿司なのが悲しいが、
最近、漫画アプリ「マンガBANG!」で、
寿司マンガ「江戸前の旬」を読んでいることもあり、
かなり口が寿司に飢えているのかしれない…。



大学時代、
韓国の留学生がいろんなものにコチュジャンをかけたり、
(スルメにコチュジャンとマヨネーズをつけて食べるのは、いまだに大好物!)
インドネシアの留学生は常にチリソースを持ち歩いていたり。
中国人なら八角の香りをかいだら、故郷を思い出すのかな?

これから、フィリピンのほか、どんな国に住むのか分からないけど、
たまにワサビとみその香りをかげれば、
アジアだろうがアフリカだろうが、やっていけそうな気がする。


これから協力隊に参加する皆さん、
スーツケースの端っこに、ワサビとインスタント味噌汁を忍ばせましょう!

↓今月はマニラ上京の機会があるので、和食を食べられるかな? それまで、ワサビご飯で我慢しましょう。。
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フィリピングルメ | コメント(0)

【vol.322】祝福=協力隊50年めでたい?

2016年01月12日
現在、フィリピン協力隊派遣50周年記念式典の委員長をしていて、
開催が1ヵ月と10日ほどに迫っているのに、
こんなことを投げかけるのは水を差してしまうかもしれないが、
あえて皆さんに問うてみたい。

協力隊50周年って、本当におめでたいことなのだろうか?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
年末年始の旅行を終えた帰り道、
マニラで1泊した後、
ウズベキスタンの協力隊OGとお会いする機会があった。
彼女は、大学時代からフィリピンの児童養護施設でボランティアをしていて、
より知識を広めようと、新卒で協力隊に参加していた。

そんな彼女と、すごく共感しあったことがある。
それは、フィリピンとウズベキスタンについて
「もう、この国に協力隊って必要ないんじゃないか?」
って感じているということ。

ウズベクの状況は分からないが
フィリピンに限っては、ヒトもカネも資源も豊富にある。
もちろん、それがうまく生かせていないから
協力隊の支援が必要と言う見方もあるが、
他方で、マニラなど見ていると、
よっぽど、私の生まれ育った九州よりも栄えている。
それが、1日1ドルに満たない生活を強いられている私の任地ティナンバックとは、
あまりの貧富の差を生んでいる。
それがうまく循環するようになれば、
必ずもっと、この国は潤うと思う。

いわばこの国は、
血の巡りの悪さを自分で治そうとせず、
誰かがマッサージをして血行を良くしてくれるのをまっている状態だ。

もちろん、それが必要な時期もあっただろう。
でも、50年経った(アメリカのピースコーはさらに前から活動している)今でも
その“マッサージ”って必要なのか?
5月の大統領選に向けて
主要候補のCMなどの宣伝費が何十億ペソ(1ペソは約2・7円)を超えたとか、
そんなニュースを聞かされていると、
「本当に外国からの支援って、求められているの?」
「もらえるから、ただもらい続けているだけじゃないの?」
と思ってしまう。
※フィリピンには、外国からのボランティアの受け入れ先を斡旋する
 「ボランティア調整省」という部署がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こう考えるのは、昨年2月に開かれた、
協力隊事業全体の50周年を祝う席がきっかけだった。
その席で、1966年に派遣されたフィリピン1期生のお一人が、
「本当は(協力隊が)なくなった方が良いと思っています」
とおっしゃられていたのが印象的だった(vol.77本当はなくなった方が)。

協力隊が入るということは、
まだその国の経済発展がなっていないということ。
発展のために活動して、いまだに国としては貧しいまま。。
1期生の方の祝福ムードの華やかな口調が、
少し重苦しいものになったのを感じた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
だからこそ、この50年式典では、
決してただ「めでたいー!」というわけではなく、
これからのフィリピンにおける協力隊のあり方に
考えをはせる場でもあってほしいと思う。

現役隊員から意見を募り、決まった式典コンセプトは
「変化~人と笑顔をつないだ50年」
だ。
主旨として、

この50年でフィリピン社会に変えられたものを見つめ(過去)、今の変化を示し(現在)、次なる未来のために提言をする(未来)。草の根でのJOCVの活動は、フィリピン人に多くの笑顔を与えてきているはずだ。そして、逆に地域の住民に助けられ、JOCVが笑顔になった例もあるはずだ。この50年を振り返り、現在のJOCV活動を多くの人にアピールするとともに、これからのフィリピンでのJOCV活動の提言ができるような式典にしたい。


と考えている。
決して、これまで与えてきた変化ではなく、
現在起こしている変化、そしてこれから起こしうる変化。
そんなものを考える場であってほしいと思う。

「極度の貧困や飢餓の撲滅」や「普遍的初等教育の達成」などの数値目標を盛り込んだ
「ミレニアム開発目標(MDGs)」
は2015年で終わり、
昨年の国連では新たに、貧困や飢餓、各国間の不平等是正など
2030年までに達成すべき17の目標を定めた
「持続可能な開発目標(SDGs)」
が採択された。

私も、新聞記者をやめ、国際協力の仕事で生きていくと決めた以上、
この目標達成に少しでも寄与すべく、
少しでも「国際協力」という仕事がなくなるように、努力していかなければならないと思う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方で、協力隊事業の3つの柱には、
(1)開発途上国の発展と復興に貢献すること
(2)途上国との友好親善、相互理解を促進すること

のほか、
(3)ボランティア経験の社会還元
というものがある。
つまりは、協力隊を終えて、その経験をいかに日本社会へと生かせるか、だ。

近年、「グローバル人材」という言葉が叫ばれてきて、
協力隊経験者の採用を考える企業も増えている。
私の第二の故郷、佐賀県でも、
県庁がボランティア経験者枠を設けているほどだ。
↓に経験者枠を作った方、経験者枠で入庁された方のお話が載っています!
「国際協力と日本の地方創生」~開発途上国も日本も元気にするキャリア~

そのような「キャリア育成の場」ととらえると、
ぜひ、まだまだ多くの人に協力隊に参加してもらいたい
という、
一見すると矛盾した考えが自分の中であることも事実だ。
だからこそ、こんなブログをつくって、情報発信しているのだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、それらの協力隊の裾野拡大の活動は、
すでに協力隊を終えて帰国された先輩隊員たちが担ってくださっている。

前置きは長くなったが、
日本時間あす13日午後7時から、佐賀市のコミュニティFM「えびすFM」において
協力隊宣伝番組「Go for the world, it's you」がある。
今回のテーマは、
「協力隊51年目の挑戦」。
佐賀県のOB会のメンバーたちが、
どうやったら協力隊の裾野を拡大できるかを話し合い、
また、私が送った「今後も協力隊は増え続けていくべきか?」というテーマでも
話を進めてくれるそうだ。
佐賀市にお住まいの方は89・6メガヘルツ、
スマートフォンやパソコンのアプリ(検索ワード『えびすFM』)があれば、
日本、いや世界でも視聴が可能なので、
お時間のある方はぜひ!

↓思いがけず、長文になってしまいました。お読みいただいた方、ありがとうございます! 決して、「協力隊事業が今すぐなくなってほしい」とかではなく、協力隊事業を愛しているからこそ、多くの方に考えていただきたいテーマです。
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