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【vol.492】電話=早くもホームシックに

2016年10月02日
1日、
マニラのJICAドミトリー(寮)で昼寝をしていると、
任地ティナンバックのナナイ(ホストマザー)から電話が。
声が、ちょっと沈んでいる。
え、誰か病気になった?
けがした?

「ケンゾウ、きょうはフィエスタ(お祭り)なのよ!」

何だよ、不安になったじゃん!笑

聞くと、ソゴッドというバランガイ(村)のフィエスタ。
ここには、ナナイのお姉ちゃんが住んでいるので、
その家に親戚がたくさん集まっているようだ。

そして、ナナイはこう続ける。
「ケンゾウの分まで、料理を食べておくからね!」
ナナイからの電話
【写真】=私のさよならパーティにて、レチョンとナナイ(9月24日)

なんか、その言葉を聞いて、
すでにホームシック。
まぁフィエスタの料理なんて大量に作るから、
私の分とかないんだけど、
それでも、離れても私のことを気にかけてくれることが、
本当にうれしかった。

そしてナナイはこう畳み掛ける。
「ケンゾウが帰ったことを知らないで、
 『きょうはケンゾウは来ないの?』と聞いた人がいたからさ、
 『ケンゾウは日本にバケーションで帰ってる』
 って答えておいたわよ」


もう、日本の息子、ちょっとウルウル。
いろいろと手続きやらで忙しく、
世話しないマニラ生活にもちょっと辟易ぎみだったので、
もう早く日本に帰りたいとも思っていたが、
むしろ、もう任地に帰りたくなってしまっている。

↓11月のナナイの誕生日あたりに帰るかなー。それともクリスマスかなー。かなり早い時期の帰郷になりそうです。
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.487】離任=「どうせ来る」との信頼

2016年09月28日
ついに、任地ティナンバックを離れた。
今、マニラのJICAのドミトリー(寮)で、この投稿を書いている。


任地を離れるとき、どんな感情を抱くのか―。

フィリピン最後の夜は、なんかうまく寝付けず、
夜遅くまで起きていた。
私は、あまり涙を流すたちではない。
こういう別れの場面で涙を流すことができず、
「もしかしたら自分は、どういう感動のできない冷血な性格なのか」
と心配もしていた。

すでにみんなとはさよならパーティを終えていたので、
最後の夜は、特に何もせず。
会えなかったホストファミリーの親戚にあいさつに行き、
見上げた夕陽。
茜空が大きく広がり、
「この大好きな夕陽も、当分見られないんだな」
と思うと、ちょっとしんみりした。
ティナンバック最後の夕陽
【写真①】=ココナッツ農林の上を染めるティナンバック最後の日の夕陽(9月26日)

そして当日。
前日は夜遅くまで起きていたのに、
結局目が覚めたのは5時ごろ。
部屋を出ると既にタタイもナナイ(ホストファーザー、ホストマザー)もおきていて、
タタイが
「ケンゾウ、サヨナラ
 ティナンバックにいてくれて、ありがとう」

と一言。
おいおい、泣かせるなよ。。

そして、
いつものように水浴びをして、
いつものようにナナイの作ったフライドライス(ニンニクで炒めたご飯)を食べ、
コーヒーで一服。
そして、部屋の片付けと荷物の最終チェック。
空港までは、ホストファミリーが車で送ってくれることになり、
家を出るのは午前9時。
それまでは、配属先に最後のあいさつをすることにした。

みんな、どんな顔をして送り出してくれるかな?
行ってみると、拍子抜け。
みんな、
「あれ、きょうだっけ?」みたいな表情。


まぁ、先週にすでにさよならパーティをやってくれた(vol.483きっと、寂しくなるはず)し、
もうずっと最近は送別ムードだったから、「今さら」という感じ。

それより何より、みんな
「どうせ、また帰ってくるんだろう?」
というムード。
まぁ、協力隊の任国の中でも、
日本からの距離がもっとも近い国の一つ。
帰って来やすい上に、
多くの友達、大切な人たちができた。
会う人会う人に、
「おお、日本帰るのか、いつ(ティナンバックに)帰ってくるんだ?」と聞かれ、
「すぐだよ」
とも答え続けてきたし。

でも、この「どうせ」という感情は大事。
どうせとは

経過がどうであろうと、
結果は明らかだと認める気持ちを表す語。
     デジタル大辞泉より


とある。
だから、どうせ帰ってくると思われているということは、
「必ず帰ってくる」という結果を、皆さんが信じてくれている
ということだろう。
これは本当にうれしい。
だからみんな、
「ちょっと2、3ヵ月、
 ケンゾウは日本に出張に行ってくるだけだろ」
というような、
たまにマニラに上がるときと同じような雰囲気で送り出してくれた。
配属先・最終日
【写真②】=最後に配属先メンバーとパシャリ(9月27日)

一番お世話になったナナイが、空港まで送ってくれたのだが、
町役場でのあいさつが長引き、
「はい、早く出るよ」と車に押し込まれ、
感情的な気分に浸ることなく出発。
そして、途中で昼飯を取ったので、
着いたのは飛行機出発の45分前ギリギリ。
すぐにチェックインを済ませて写真を撮って、
「じゃあ、またね」という感じで送り出してくれた。
ナナイ・最終日
【写真③】=空港まで送りに来てくれたナナイ(右から2人目)や親戚、語学のエバ先生(左、9月27日)

絶対にすぐに帰ってくる。
また帰って、会いたい人がたくさんいる。
「第二の故郷」と呼べる場所がまた一つ、
私の中で増えた。


↓もっと涙涙の展開を覚悟していたんですが…。ティナンバックのみんな、すぐにまた会いに行くよ!
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.485】古着=誰かの生活の足しへと

2016年09月26日
この2年間、買い足したものといえば、
服だ。
熱帯性気候であるフィリピンは年中25度を超える暑さが続き、
汗をかきやすい。
だから、日本から持っていった服だけでは足りなかった。

加えて、
フィリピンの協力隊では、
「フィリピンJOCV奨学金委員会」という、
隊員による自主運営組織が活動。
寄付金などを集めて、
貧しいながらも勉学への高い志を持つ児童・生徒に対し、
奨学金を渡して学費などの支援をしている委員会だ。
同委員会では、毎年のボランティア総会(隊員による年2回の会議)で、
委員会オリジナルのポロシャツを販売。
私も、「支援になれば」と思い、
ほぼ全シリーズを買い揃え、ちょっとした支援をさせてもらった。

ほかにも、フィリピン人は
「I love(Loveはハートマーク) ○○」など、
地名が入ったTシャツを買うのが大好き。
だから、島や地域ごとに変わったデザインのものが多く、
私もせっせと買い足していった。

今回、荷造りを進める中で、
その多くを、古着として任地に置いて帰ることにした。
古着たち
【写真】=自宅の一角に積み上げられた私の古着たち(9月26日)

内容としては、Tシャツやポロシャツから、
タオルやシーツ、枕カバー、
果ては、日本から持ってきた浴衣に至るまで。

理由としては、
荷物の重量制限があること。
帰国の飛行機は、23キロ×2個まで。
持ち帰るものも厳選しないと。

そして、
その多くが、色あせ、穴が開いてしまったこと。
任地では、洗濯は手洗い(vol.228はじめての手洗い完了)。
多くの隊員からの経験談によると、
手洗いの方が、服の繊維は傷みやすいようだ。
そのほとんどが、「ちょっと日本で着るには…」というほどになってしまった。

そしてこれが最大の理由。
この町ではクリスマスに、
貧しい家庭に古着を分け与える。
vol.24幸せは分け与えるもの
キリスト教の教えに、
富める人は貧しい人にものを分け与えるもの、というものがあるようで、
クリスマスはローラ(おばあちゃん)の誕生日でもあり、
家には、400人近い人が訪れる。
そしてご飯を配り、古着を分け与えるのだ。

基本的に、私は物をただ分けるだけの途上国支援はしたくない。
でも、この2年間、
本当に日々数十ペソの稼ぎしか得られないという家庭を
多く見てきた。
vol.207より1ペソでも稼ごう
本当は、そういう家庭に一つでも多くの有機農業の技術を伝えたかった。
でもできなかった悔しさ。その罪滅ぼしというか。

隊員の別の団体に「古着委員会」もあり、
マニラに集めて、イベントなどで配る活動をしているが、
まずは任地を優先したかった。

だから、ナナイ(ホストマザー)には
「クリスマスに、貧しい人たちにあげてね」
と伝えてある。
ナナイも「これはケンゾウからだよーって配るよ」って。
クリスマスに、一人でも喜んでくれる人がいたらいいな。

↓もちろん、職場のユニフォームとか、みんなでつくったTシャツとか、思い入れのあるものは持って帰ります。でも、だいぶ古着に回したなぁ。喜んでくれるかな?
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任地ティナンバック | コメント(0)

【vol.483】寂寥=きっと、寂しくなるはず

2016年09月25日
ここ数日は、毎晩送別会続き。
23日は、配属先のパーティ。
デシピ1
【写真①】=事務所で開かれたパーティで、熱唱するボス(左から2人目、9月23日)

いろいろ、スケジュール(vol.475自分で決めさせてよね)や、
終わらない木酢の工事ですったもんだはあったが、
結局、
「ケンゾウに感謝したい」と言ってくれ、
本来、送別される側がスポンサーのはずのフィリピンで、
同僚たちがお金を出し合って、パーティを開いてくれた。

本当にありがたい。

みんなで、チキンを焼いて、魚を焼いて、
チキンとウリのスープを作って…。
そして、恒例のビデオケ(カラオケ)。
最初、まったく知らないおじさんが入ってきて、
ずっと一人でマイクを独占し続けたときは腹が立ったが、
(しかもうまいのが鼻につく。笑)
ひたすらジン、ジン、ジンを飲み続け…。

最後、促されたメッセージ。
「たまには、怒ることもありました。
 でも、本当にティナンバックで働けてよかった。
 皆さんと出会えてよかった。
 いろいろと支えてくれて、ありがとう」

偽らざる、自分の本心だった。
デシピ4
【写真②】=同僚たちとグループピクチャー!(9月23日)

そして、24日は、
主に家族、友達向けのパーティ。
フィリピンのパーティの定番、
レチョンを買っちゃいました!
デシピ2
【写真③】=私が注文したレチョン。50キロほど(9月24日)

レチョンとは、豚の丸焼きのこと。
最初は、ナガの業者から頼んだら、と言っていたナナイ(ホストマザー)だが、
実際、ナガに値段をチェックしに行くと、かなり高いことが判明。
なので、
「じゃあ、俺がレチョンを作る!」
と言ってくれたのがタタイ(ホストファザー)。
タタイは豚の飼育をやっているので、
その子豚をさばき、
6時間かけてじっくりと焼いてくれた(炭火焼き!)のだが、
焼いてくれたのは、豚小屋の前。
デシピ・レチョン
【写真④】=炭火で焼かれる豚。奥の白い屋根が豚小屋(9月24日)

仲間たちの前で焼かれる豚さん…。

同じ地域で活動する同期隊員や、
ビコール語を教えてくれたエバ先生も駆けつけてくれ、
大変、にぎやかなパーティとなった。
デシピ3
【写真⑤】=家族や友達たちと(9月24日)

この数日間、多くの人から
「日本に帰ったら、○○が恋しくなるだろう?」
と聞かれる。

一つはお酒。
フィリピン人にもお酒好きは早々とばれてしまったのだが、
冷蔵庫を持った店が少ないうちの町で飲まれるのは、
ブランデーかジンばかり。
ブランデーとジン
【写真⑥】=24日のパーティで用意したブランデーとジン。結局、数回買い足した

ブランデーは1リットルで100ペソ(約200円)で、
ジンは、330ミリで45ペソ(約90円)。
安くて酔える!
「日本にはジンもエンペラドール(ブランデー)もないのか!?」
と驚かれる。
本当に、この安さが日本にもあればいいのに。

あとは、フィリピンのうるささ。
みんなが大声で叫ぶように話し、
パーティには必ずビデオケをレンタルしてきて、
隣近所に気にすることなく大声で歌う。
ちょっとした物音さえも気にしあう日本では
考えられない文化だろう。

でも、一番寂しさを覚えるのは、
この町の人たちと、これまでのように会えなくなる
ことだろう。

24日のパーティで、
ホストファミリーの娘であるジャジャが、
「ケンゾウが帰ったら、本当に寂しくなる」
と号泣。

それを見ながらナナイも
「ケンゾウとジャジャは、きょうだいだからね」
と言う。
日ごろは男勝りにバイクを使いこなし、
重いものも運んだりするジャジャが、
そんな風に泣いて寂しがってくれると思わず、
私もちょっと、もらい泣き。
ここでは
「ケンゾウ・アスクラ」(アスクラはホストファミリーのファミリーネーム)
と呼ばれてきた私。
号泣するジャジャに思わず、
「早いうちにまた戻ってくるから」
と約束させられてしまった。

本当に、多くの思い出ができたティナンバック。
ここでの生活も、残すところあと2日。

↓きょう、完全に二日酔いの中、パッキングを進めましたが、なかなか断捨離が難しい。。
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【vol.482】痛飲=あと何回飲めるのかな

2016年09月22日
「ケンゾウ、マイノム?」

ほぼ毎日のように、
午後4時過ぎになると誰かが、こう呼びかける。

マ(Ma)は、動詞の未来を表す言葉、
「Will do」みたいな。
そして、
イノム(Inom)は、
水やお酒などを「飲む」
の意味。
すごく、日本語と似ている気がするのだが、
「マイノム」を訳せば
「ケンゾウ、飲むぞ!」
となるのだ。
さらに、こぶしを口の前で傾けて、
さかずきで酒を飲むようなしぐさをすれば、なお完璧。

フィリピンに来る前から、
任地で
「三夜待(さんやまち)」を開きたい
と思っていた(vol.263酒共にし事務所仲良く)。
三夜待は、佐賀の風習で、
酒やつまみなどを持ち寄り、
会場を仲間間で持ち回りで開く飲み会のことだ。
佐賀ではだいたい、月1回ペースで開いていたので、
フィリピンでも同じくらいのペースで集まり、
食べ物や酒を持ち寄って、
お互いを知る「飲みコミュニケーション」の場としたい、
と考えていた。

しかし、フィリピンに来て、認識が変わった。
「ここでは、ほぼ毎日飲んでいるよ」
アフターファイブ飲み
【写真】=21日のお酒は、やっぱりジンだった(9月21日)

飲む日を決めなくても、
誰かが飲みたくなれば、仲間を誘い、
続けられていた飲み会システム。
おかげで、
何の障害もなく、お酒を飲むことが出来るようになった。

終業の午後5時が近づくと、
大抵、私が近くのサリサリ(商店)にお酒(ジン)を買いに行き、
スタンバイ完了。
同僚は、その日のおかずの残りを出したり、
自分たちでBBQ(焼き鳥のような串)を買ってきたりして、
つまみとする。
BGM代わりに、「wowowin」というバラエティ番組を掛ける。
クイズをしたり、カラオケをしたり、
うちわで卵をあおって転がして的に入れたりなどのゲームを楽しみ、
なぜか後ろでセクシーなお姉さんたちが踊り続けるという、
夕方5時からの番組。

話の内容は、仕事の愚痴であったり、
フィリピンの政治についてだったり、
飲むのは男の職員ばかりなので、下ネタの話になったり。

最近は、体調が悪かったり、仕事が忙しかったりで、
ちょっと誘いを断っていたが、
21日は、残り出勤数も少なくなってきたということで、
ついつい、痛飲してしまった。
JICAの調整員への最終報告(vol.481色んな種はまいてきた)や木酢工事の確認作業などで疲れているところに、
度数40パーセントの強いジン。
完全に、この日は、帰ってすぐに寝てしまったようだ。

でも、
あと何回、このメンバーで飲めるかな?
私に残された出勤日は、残り3日。


↓フィリピンは、一つのショットグラスで一気飲みをして、グラスをみんなで回し飲みするスタイル。酔いの周りが早いのです。
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